実を言うと、私が外科を選んだわけではない。
その年のMD(修士)は、外科の席が空いていて、そこに割り当てられた。
本当は華のパンチャカルマ科とか内科に行きたかった。
インド人にとっては外科もパンチャカルマと並ぶ人気の科で、行きたくても行けない人もいるから、
本当は行きたくなかったとは贅沢な話なのです。
今は、外科に行かせてもらって本当に良かったと思っているけど、当時は、とても辛かった。
アーユルヴェーダの外科では、アーユルヴェーダ独自の外科法ももちろん使うし、基本それがメイン。
ただ、緊急性を伴う科だから、
現代医学の領域に私たちが踏み込まなければならないケースは、他の科よりも多かった。
現代医学が嫌なわけではなくて、アーユルヴェーダドクターが現代医学の領域に
踏み込まなければならない状況にとても抵抗感があった。
現代医学が得意なことは現代医学のドクターに任せればいい。
どうしてアーユルヴェーダドクターが現代医学をしなきゃいけないのかと。
現代医学を専門で学んでいない私が現代医学の薬を出して良いのかといつも葛藤していた。
だけどもし、誰かが夜も眠れないくらいの痛みを抱えている時、
痛み止めを出せばすぐに鎮静するのがわかっている時、
アーユルヴェーダドクターでもそれを出せる状況なら、出せばいい。
“幸せ”とは何かを考える。幸せとは心にも体にも痛みや苦しみがない状態。
その痛みが一時的でもとりあえず和らぐことが幸せであるなら、
現代医学の領域だとかアーユルヴェーダの領域だとか言ってる場合じゃない。
幸せになるための手段はたくさんあって、それはアーユルヴェーダだけじゃない。
幸せになるために自分にできることがあるなら、やっていい。
そのための知識は絶対的に必要だけど、
それが現代医学でもナチュロパティーでもアーユルヴェーダでも何でも良くて
それこそがアーユルヴェーダの目指すところ。
ということを外科で学んだと思う。
外科というところはアーユルヴェーダの中でも
とても特殊な環境で、そこでしか学べないことが沢山あった。
そういう心構えも、外科独特の施術も、外科に行かないと学べなかったから、
今は、外科に行けて本当に良かったと思っています。